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想い出

私は、英会話を始めて25年余りになります。始めたきっかけは前職でインドネシアに行かなければならなくなり、会社から辞令をもらいインドネシアへ赴任しました。

元々、子供の頃から海外には興味があり、いつも地図帳とにらめっこをしていました。

そのため、世界の大陸の形、国の名前と首都は殆ど知っている子どもでした。

その影響で社会人になってからいくつかの国に旅行をしました。英語が話せたらもっと楽しいだろうと思いましたが、今の様に簡単に英会話が学べる時代はありませんでした。

ある時、父方のいとこが公邸調理師という仕事に就いており、当時、ドイツのフランクフルトの在ドイツフランクフルト日本総領事公邸で公邸調理師として働いており、私が外国に興味があることを知っていた彼が、休みを利用して来ないかと誘ってくれたのです。

そして、その旅で総領事公邸と云う特別の場所に初めて泊りました。それをきっかけに私の外国に対するハードルが一気に下がり同時に渡航への不安も余り感じなくなりました。

インドネシアへは関空からジャカルタ、ジャカルタからドメスチックでスラバヤ、スラバヤ空港からタクシーでホテルまでという行程でした。

出発日は11月下旬で、既に寒くなっていたのですが、ジャカルタに着くとむっとした強い湿気を感じました。気温は32ほどで日本とは20℃以上の温度差でした。

渡航前に「地球の歩き方」という旅の道しるべの本を買って読んでいました。その本によるとスラバヤ空港で「ゼブラ」というタクシーは危険だから載らない方がよいと書いてありました。50台ほど並んだ車の中から「ゼブラ」以外のタクシーを探しましたが、残念ながら全て「ゼブラ」でした。既に陽も沈みかけており、やむなく覚悟を決め「ゼブラ」に載ることにしました。その時に選んだ車は、小柄な細身のドライバーの車でした。彼ならいざという時に戦っても勝てると確信したからです。学生時代に柔道の有段者になっていたのでそう思ったのかも知れません。

タクシーに載り「地球の歩き方」には空港からホテルまで40分と書いてありましたが、やがて1時間になろうとしてもホテルに到着する様子はなく、外の景色をずっと見ていました。その時「あれっ!さっき見た建物だぞと!」気づいたのでした。ドライバーはメーターを上げるために、ホテルの周囲を何回も走っていたのです。私は腹が立ち、後部座席から前の座席を思い切り蹴りました。すると、ばれたと思ったドライバーは、あっという間にホテルのロビー前に車を到着させました。料金は1時間以上載ったにもかかわらず日本円で数百円程度だったのです。それを見て腹立たしさも消え、せめて英語だけでも話せれば、このドライバーと楽しく話が出来、「ゼブラ」を恐れることもなかったかも知れないと思いました。

こんな出来事があり、それ以来必要最低限のインドネシア語と会話が出来るレベルの英会話の勉強を始めました。

帰国後20年以上経ちましたが、現在もインターネットで英会話の練習を続けています。

 

新型コロナウイルスが終息したら海外旅行の計画をしてみたいなと思う今日この頃です。                                                   そらいろスタッフ Steve Hayakawa